時を重ねて |
1分も数えられる。
無論、1時間も1日も、1週間も1か月も、言葉と頭の中では数えられる。
人生100年生きたとして、この時も数えることができる。
歴史では、1000年や100万年も数えられる。
しかし、数えたことと、生きたことでは意味が違う。
現実と空想の違いであろう。
生かされた人生なら、生きるべきだ。
時を重ねるというのは、そういう生き方なのだ。
1秒に全力投球しても大したことはない。
しかし、1日だと結果は変わる。無論1時間でもそれは変わる。
1秒は、瞬きするぐらいの時間。それに全力投球しても何があるというのだ!
時間軸の中で生かされているなら、その時間を価値を作るのは自らである。
無駄な時間を費やして何が得られるというのだろう。
1日を悔いなく…という生きざまは、すべてを記憶することではない。
1日すべて忘れてしまったとしても、精一杯生きた・・・という記憶は、体の中に刻まれるのだ。
指のタコのように・・・
額の傷のように・・・・
重ねた時は何になるのか・・・・・・・答えは刻んだものだけが知る。