諸条件の無条件 |
当然視夕食する側にも、希望・条件がある。
これを前提の上の話である。
就職する…という立ち位置と、教えてもら鵜・・つまり師弟関係の立場では、先の条件は変わってくる。
教えてもう側が、様々な条件を出して、こうでなればとか、こうしてほしい・・・というようでは、師弟関係は成立しない。
雇用関係ではなく、師弟関係なのだから。
その道のプロが、ノウハウを伝授するだけ値打ちがあるかを見極めて指導に入る。
つまり、弟子は、それを認めてもらうために全力投球しなければならない。
その過程において、あーだこーだというようでは、弟子に教える値打ちはないのだ。
たとえばの話である。
師といわれるものが、経験20年だとしよう。
師になるために、彼が積み重ねた年月は必ずしも20年ではない。その倍をもっていても不思議はない。
弟子がいたとしよう…彼は弟子入りして3年。そろそろ一人前の口を叩き、自己主張するようになる。
そしてともすれば、無意味な衝突をして、最悪破門ということもある。
師への絶対的な敬意・尊敬・忠誠が足りなければ、そういう道をたどることが多い。
だれのおかげだ・・・・というようなことはなくても、たてるべきは立てねばならないし、そういう敬意は持ち続けければなるまい。
人を立てるようになって、人は立てられるようになる。
口を酸っぱくして、ほめることを提言しているが、それができなければ道は遠く長くなる。
そしてたてられているときこそ、たて方を学び実践することが必要である。