愚行考察・・記録 |
食育・サロン・個人名でのアクセスもあった。当時の記事でサポートしていた人々とは、すでに決別しているわけだが、ごく一部の愚者とは完全なる決別には至らない。
自らが語ることを放棄し、弁護士を代理人にしてしまうようでは、遺恨を残すことに他ならない。
寛容な心を持って対応してあげても、当然ながら響く言葉は届かない。
もっとも、それも怒り・憎しみというエネルギーで立ち上がらせるには必要な方法でもある。
サポートというのは、人を応援するものと考えている。その過程の中で、無償だったり有償だったりがある。
人の誠実さや正直さ・・未来を担う力や可能性を確信してのサポートである。
しかし、相手が誠意や感謝を見失い、反目してくればサポートはできない。
7年の歳月の中で、食育を支援するために別のNPO法人を紹介したり、また私の家族などもクッキングに参加させたり・・・数えればきりがない。
そういう事実は、このブログに記載している。
サポートを受けていた者たちは、そのブログを削除しているが・・・笑
なかには・・削除すらできないものもいる。
さて・・・ブログというのがすべてではないが、記録として残るのは記事だけではない。
記憶を消さなければ、死ぬまでそれは残る。
自身の記憶を消したところで、そこに関わった者の記憶を消すことは難しい。
つまり・・人と人が関わる以上・・・何かしらその痕跡は残るものだ。
人を指導するものは・・・育てる言動をもつことだ。
過去、弟子に見切られ、今、師を師とも思わぬものが未来を作ることは断じてない。
自分だけ・・・だからだよ。