学びの意味 |
それは、受講生からの報告を聞く瞬間なのだ。
受けた講義を実践して成果・結果を出したという報告・・・・・それが最も嬉しいのだ。
そういう報告ができる者は、数少ない。
二十代の彼女は、そういう一人であり、学びを最も活かしている者である。
これとは異なるケースもある。
勉強になりました・・・というお礼の言葉を言う者は多い。
そして記録することで、学んだと錯覚しているものが多い。
実際に使わず、ただ時間を浪費し、役に立てない、使わないままの知識の収集家である。
だから、お礼の言葉は胸に響かないし、届かない。例えお礼をいわれても、喜びは感じない。
教育に携わってきて、常に自問自答するものがここなのだ。できれば優秀な生徒が良いと・・・

できれば学びを実践する者に伝授したいと・・・・
しかし、これが驕りなのだ。
そうならないよう、この三年余り自身を戒め徹してきたが、ことがビジネスになれば選択の権利は指導側にある。
義務教育でもなければ、一般企業の社員研修ではない。
必要と思う者だけが学ぶ価値を見出すのだ。
そしてその成果を出さないものに、教える必要はない。
次のステージに進むためには、その成果を出さなければならないのだ。




ラムちゃん・・・そそ。そーなのよ。
reiさん・・・んだ。しっかりね。
meguさん、いらっしゃーい。よかったね。
cさん・・開眼せーよーーーーーーーーーーーー
