身の丈 |
今日も演武の稽古に入りました。所要時間約2時間。
その後、受験申請書に関わる一門激論がありました。
信念を曲げないことは、大事なことである。
例えればこうだ。
私は将来パイロットになりたい・・・いや、絶対なるんだ!!! この鉄の意志を貫こうとする姿は、人に感動も与えられる。
しかし、もしその過程で疾患・疾病になった場合・・・この鉄の意志を貫くことができなかったとしよう。
それでも、それは信念を曲げたことにはならない。そして恥じる必要もないのだ。
翼を心に持てばよいのだ。
そしてもうひとつ大事なことがある。
何かをなそうとするとき・・・人は誰かの協力や教えを乞うことになる。その過程で自分のプライドを前面に出して、良い結果が出ることはまずない。
我を通そうとして衝突すれば、理解や共感は得られないのだ。
相手を見て、時を見て、場を見て、そしてなお、現状と現実と、未来を見据えて振る舞うことが、人の成長には必要なことだ。
演武一つでさえ・・・己の体力のなさを痛感するであろう。僅か3分の演技でも。
その演技でさえも、迫真でなければならないことを体の痛みて知るであろう。
身体の痛みに耐えてこそ、精神力と技の切れが見えてくるのだ。
身の丈に合わないと、背伸びをしたまま歩かねばならない。
そしてやがてそれに疲れる。
その疲れは、無責任の上に成り立つ無意味な責任感を作り出す。
それは、心技体の遊離状態を意味し、得体の知れぬ恐ろしいものに憑依されたも同じである。
不安という事象はそういうものでもある。
僅か数時間の稽古で、完全なる演武はないのだ。
どんなに優れた格闘家でも、アフリカにいって百獣の王ライオンと戦うものはいないだろう。
それは、人と人の間にある格闘技だからだ。
しかし、格闘技には無縁の民族がいる。一昔前の彼らは、サバンナをも走り抜け、先人から受け継いだ知恵と力と勇気をもって、猛獣たちと戦い、糧を得てきた。
彼らは、自然の掟を熟知し、自然とともに共存し、我々が愚かという信仰と神を崇め、何百年も生きてきたのだ。
彼らは、もしかするとこの地上における最高の格闘家たちかもしれない。
身の丈は・・・自然界において我が身の小ささと愚かさを見て知ることかもしれない。
審査は節目、竹も節目があるから強くしなう。強く柔軟に成長する糧です。しっかりチャンスを捉えて行きます。
今日もご指導ありがとうございました。
身の丈を知り、相手を敬い素直な態度で未来へ向かいます!
みんなしっかりやるんだぞう!
大切な学びをありがとうございます。