内からの鍵と外からの鍵 |
意図的なものではなく、君自身の感じるままに動いたことは、成長の証でもある。
同じ釜の飯を食べた者に対する、何かを想う気持ちであるからだ。
それは、指導教育には必要なことでもある。
そして真に友になれるかどうかを見極める術でもある。
その上で、一つ学んでおこう。
心の闇は誰でもある。その闇がいつ自分に襲い掛かって支配するかは、個人差がある。
その闇を抜け出すには、闇と戦う勇気と己を信じること・・・そして外部の声に耳を傾けられるかの素直さが必要なのだ。
外側からかけた鍵なら、開けることは容易である。
しかし、内側からかけられた鍵は、開けてはならない。無論開けようとしてもいけない。
指導上でいうなら、本人が立ち上がらなければ、ドアを壊して引きずり出しても意味はない。
その上で、もうひとつ。
君が対面した相手を信じてあげるのならば、時が来るまで待つことだ。
気の遠くなるほどの歳月が必要かもしれない。
或いは、どちらかが別の世界に旅立つかもしれない。
憎しみや怒りが消えぬまま、再会することもあるかもしれない。
それでも、君が今日起こした行動は、君自身の信念に基づくものだ。
だから悔いてはならない。
君が乗り越えてきた道は、今はもう笑える話になっている。
そこにいくまで、君がどれだけ多くの涙を流してきたか・・・・
自発的フォローは、乗り越えた者だけができる大切な心を伝える行為なのだ。