2008年 03月 03日
なくしもの・・・ |
忘れる・・・心を亡くすと書く。また別の読み方では、亡くす心・・である。
前者は意図的なものではなく、不注意である。
後者は意図的・意志が働くことで忘れるのだ。苦痛や悲しみを意図的に忘れようとする行為がこれにあたる。
どちらも、良いことではないが、身を護る方法としての後者には一理ある。
さて・・・・人を育てる・・ということについて・・・
会社であれば、上司の指示・命令等によって仕事を与えられる。この仕事によって人は育っていくわけだが、それだけではない。社外を含め、どれだけの人たちと交流していくか・・その過程で成長する。
この場合・・育てるための直接的な費用は上司が負担することはない。責任があっても、回避することもできるのだ。
会社の組織に属さないチェーン店やシステム上の組織の場合、この人材育成・発掘には少なからず投資がいる。その投資は、組織上の直属の者が自己負担するわけだが、当然発掘されたものも自分への投資を求められる。
こういう組織の場合、会社と異なりどれぐらい本気であるか、継続できるか、そしてそれを大所高所に立って実行できるかが鍵である。
我が身だけを考えれば、集合した兵に好き嫌いも言えよう。しかし、長期的、大きな視点で見たとき、果してそれでいいのだろうか・・と自問自答するぐらい出なければおさ・・長は形式だけのものになる。
好き嫌いがいえるのは悪いことではないが、長たるもの・・言う場所と言う相手を心得なければなるまい。また、言いながらも、厳しく導けるぐらいの器も欲しい。
敏感であることは好ましいが、力のない敏感さは獲物になるだけである。
触覚は、相手が安全か危険か・・そしてそれが有効なものかどうかを見極めて使うものなのだ。
厳しく言うなら、厳しく導き続けなければなるまい。
それが不可であれば、指導を受ける権利もない。
前者は意図的なものではなく、不注意である。
後者は意図的・意志が働くことで忘れるのだ。苦痛や悲しみを意図的に忘れようとする行為がこれにあたる。
どちらも、良いことではないが、身を護る方法としての後者には一理ある。
さて・・・・人を育てる・・ということについて・・・
会社であれば、上司の指示・命令等によって仕事を与えられる。この仕事によって人は育っていくわけだが、それだけではない。社外を含め、どれだけの人たちと交流していくか・・その過程で成長する。
この場合・・育てるための直接的な費用は上司が負担することはない。責任があっても、回避することもできるのだ。
会社の組織に属さないチェーン店やシステム上の組織の場合、この人材育成・発掘には少なからず投資がいる。その投資は、組織上の直属の者が自己負担するわけだが、当然発掘されたものも自分への投資を求められる。
こういう組織の場合、会社と異なりどれぐらい本気であるか、継続できるか、そしてそれを大所高所に立って実行できるかが鍵である。
我が身だけを考えれば、集合した兵に好き嫌いも言えよう。しかし、長期的、大きな視点で見たとき、果してそれでいいのだろうか・・と自問自答するぐらい出なければおさ・・長は形式だけのものになる。
好き嫌いがいえるのは悪いことではないが、長たるもの・・言う場所と言う相手を心得なければなるまい。また、言いながらも、厳しく導けるぐらいの器も欲しい。
敏感であることは好ましいが、力のない敏感さは獲物になるだけである。
触覚は、相手が安全か危険か・・そしてそれが有効なものかどうかを見極めて使うものなのだ。
厳しく言うなら、厳しく導き続けなければなるまい。
それが不可であれば、指導を受ける権利もない。
by xqptd923
| 2008-03-03 19:00
| 教育講座
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